抑うつ状態の自分を救ってくれる「かけがえのない本」とは?【福田和也の読書論】
“知の怪物”が語る「生きる感性と才覚の磨き方」
■かけがえのない本を見つけるには
このようにいうと、別に好きな本を好きなように読めばいいではないか、好きな本を好きだといって、何が悪いのだ、といったような反応がすぐに出てきます。
こうした意見は、一見、非常に正論のように聞こえます。どんな書物、あるいは文化を楽しむかということは、個々人の権利であり、自由の発露であると。
もちろん、それは正しい意見です。しかし、またこういうふうにも考えられるでしょう。たしかに誰でも好きな服を、好きなように着ることができる。それはまったく個々人の自由勝手であるということは間違いない。
しかしまた、自分に似合う服、自分を素敵に見せてくれる服、自分の本質を示すとともに、自分のステイタスを押し上げてくれるような服というのは、ごくわずかです。本当に、自分が気に入った服を見つけることでさえ、実際にはとても難しいし、さらには、それが、第三者から見ても、なかなかに似合っていてよく見えるというのは、かなり難しいものです。
だとすれば、本もまたそうではないでしょうか。あなたに本当にフィットする本、あなたをよく見せる本、あなたを本当に向上させる本というものは何なのか、少し考えてみてもいいのではないでしょうか。
とはいえ、もちろん本と服とは違います。服が似合うかどうかについては、一般的な基準——流行とか——がありますけれども、書物というのは、そんなに簡単ではありませんし、つきあう時間も比較にならないほど長いものです。
自分にとってかけがえのない本を見つけるにはどうすればよいのか。これはなかなか難しいのですが、多少とも効率的と思われる道がないでもありません。
いうまでもなく、効率をうんぬんするためには、目的がはっきりしていなければなりません。目的が限定された時に、初めて、その目的達成にたいして、どれほどの労力を費やしたかという、効率計算が成り立つからですが、この場合目的は、やはりいかにして自分を向上させるかというところに置くべきでしょう。
イノセントに読書を楽しむ、自分はこの本が好きだから読む、ではなく、自分を自分として作り、向上させるために何を読むべきか、ということを、客観的に考えるべきでしょう。
というと、あまりに旧弊な教養主義のように聞こえるかもしれませんが、ここで私のいう「向上」とは、いうまでもなく、社交的な意味での向上、つまりはスノッブな意味での向上です。
スノッブな意味で自分を向上させるというのは、何よりも文化的な格差、位階というものを認識するということです。
文化というものは、けして等価値なものではなく、かなり厳しい格差をともなうということ、つまりは凄いもの、崇高なものと、どうしようもなくくだらなく、触れるだけですべてが陳腐になるようなものまでの、かなり角度の急な段差があるということをまず理解することに他なりません。
(『福田和也コレクション1:本を読む、乱世を生きる』より本文抜粋)
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文藝評論家・福田和也の名エッセイ・批評を初選集
◆第一部「なぜ本を読むのか」
◆第二部「批評とは何か」
◆第三部「乱世を生きる」
総頁832頁の【完全保存版】
◎中瀬ゆかり氏 (新潮社出版部部長)
「刃物のような批評眼、圧死するほどの知の埋蔵量。
彼の登場は文壇的“事件"であり、圧倒的“天才"かつ“天災"であった。
これほどの『知の怪物』に伴走できたことは編集者人生の誉れである。」